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Re: 『海外遡行研究 韓国の谷と山』報告書について

 投稿者:茂木  投稿日:2018年 1月16日(火)23時10分1秒
返信・引用
  > No.2834[元記事へ]

井熊真太郎さんへのお返事です。

海外溯行同人の茂木と申します。
韓国の谷と山、1刷3000円で頒布しております。(送料別)
別途メールでご相談させてください。
 

『海外遡行研究 韓国の谷と山』報告書について

 投稿者:井熊真太郎メール  投稿日:2018年 1月16日(火)10時54分8秒
返信・引用
  海外遡行同人様

突然のご連絡失礼足します。
慶應義塾大学山岳部に所属しております井熊真太郎と申します。
2018年の夏に山岳部で沢登りをしたいと考えていた矢先に、韓国の沢の写真を偶然見つけ、日本とは異なりどこかアメリカ国立公園のような優雅さを持つ魅力が気になり調べました。
そうしたら、あるブログで海外遡行同人様が著書として出されておられる『海外遡行研究 韓国の谷と山』があると知りました。
ぜひ一読して参考させていただきたいのですが、関東のお店ですとどこに販売されていますでしょうか。
もしよろしければメールの方にお返事お願いいたします。よろしくお願いいたします。

井熊真太郎
 

兵庫 舎羅林山ミニミニハイキング

 投稿者:warajinメール  投稿日:2018年 1月12日(金)21時48分0秒
返信・引用 編集済
  2018.01.12  能勢電鼓滝駅~舎羅林山~展望岩~能勢電平野駅

 舎羅林山(標高264.4m 三等三角点)は能勢電鉄平野駅の東方にある。登山道はあるが道標はほとんど見かけず、登山の対象としてそれほど人気のある山であるようには思われない。しかし山域は様々な樹種の雑木林に包まれていて、なかなか素敵なハイキングを提供してくれる。
 能勢電鉄鼓滝駅のすぐ北の道をまっすぐ東にたどる。途中V字分岐を左にとり、行止まった三差路を左折して北に進み、再び行き止まった三差路で右折。道なりに進むと車道から山道にになり、そのまま山頂に着く。駅から約1時間だ。山頂付近の木陰には薄く積もった雪が見られる。山頂南面の岩陰で食事をすませ、展望岩を越えて能勢電鉄平野駅に下山する。
  老人の散歩に手ごろなこの素晴らしい山も、現在北面から宅地開発が進んでいて、やがては喧噪のなかに埋もれて行ってしまうのかもしれない。

写真は 上 舎羅林山山頂 中 展望岩 舎羅林山コース図
 

謹賀新年

 投稿者:茂木  投稿日:2018年 1月 1日(月)23時17分36秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。
昨年12月に前立腺がんの手術をしました。
経過は順調で、幸い転移もなさそうです。ただ、この手術をするとしばらくは尿漏れします。おかげで孫たちは、じいじがおむつしてると大喜びしてます。
可愛いですね。
さあ、早く治してまた海外の渓谷に登りたいです。
皆様のご健康とご健闘をお祈りいたします。
 

Re: 三重・矢頭山 冷谷(2)

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年12月 8日(金)10時25分50秒
返信・引用 編集済
  > No.2830[元記事へ]

茂木さんへのお返事です。

> リンゴさんがいい谷だったと言ってますよ

 今年5月に地形図で見つけ、面白そうなので一人で入ってみました。しかし連続する滝が登れなくて、巻いてばかりの溯行でした。今回はリンゴさんにリードしていただいて、大滝以外は登ることができました。また、谷の概要を見ることもできました。リンゴさんに感謝です。
 この谷は植林小屋の上流にもまだ小さな滝場があるようです。今回は矢頭山三角点ピークを踏みたかったので、小屋から左岸支稜線に上がり、尾根筋を登りました。下山に使った杣谷中間尾根には道は無く、植林帯急斜面の薄い踏み跡をGPSを頼りに下りました。
 矢頭山南・東面の沢では、冷谷下流の「杣谷」と合ヶ野集落に流れ落ちる「合ヶ野谷(仮)」にも入ってみるつもりです。合ヶ野谷(仮)には「三滝」と呼ばれる滝場があるとのことです。お元気になられましたらリハビリがてらお付き合いください。

下記図は矢頭山南・東面の地形図です。

 

Re: 三重・矢頭山 冷谷(2)

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月29日(水)21時24分4秒
返信・引用
  > No.2829[元記事へ]

warajinさんへのお返事です。

リンゴさんがいい谷だったと言ってますよ


>  冷谷(ひよたに)の写真をUPします。
>
> 上 大滝下15m滝  中 10m滝  下7m滝
>
>
 

三重・矢頭山 冷谷(2)

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年11月29日(水)08時01分29秒
返信・引用 編集済
   冷谷(ひよたに)の写真をUPします。

上 大滝下15m滝  中 10m滝  下7m滝

 

三重・矢頭山 冷谷

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年11月29日(水)07時46分5秒
返信・引用 編集済
  2017.11.26 下出~冷谷溯行~植林小屋・打切~東峰~矢頭山~東峰~杣谷右岸尾根~杣谷出合~下出

 冷谷(ひよたに)は矢頭山東峰から南西に流れ落ち、下出で中村川に入るコンター500mばかりの小さな谷だ。源流部が広く中流部でたたみかけるように連瀑をかけている。
 下出集落の中村川に懸かる橋のたもとにある広場に車を置く。橋を渡り、右折して中村川左岸沿いの林道を進み、冷谷に入る。林道終点から薄い登山道を辿り、二俣下から溯行に移る。
 右俣に入るとすぐに連瀑が始まる。10m滝は左の流れを登る。15m滝は左壁を登る。不動滝大滝の下段13mは右から巻き上段の下に出る。上段20mは左から巻き上がる。大滝周辺は岩壁に紅葉が映え美しい。大滝の上流は穏やかな流れに変わる。最奥の二俣にはしっかりした植林小屋がある。
 小屋までおりてきている踏み跡をたどり、左岸の支稜線に上がってみる。しかし稜線の踏み跡は下り方面のみで、登りにはない。仕方なく支稜線の急坂を登っていくと矢頭山東峰で清水峠に続く登山道に出る。左にとってわずかに下り、登り直したピークを右に分岐して岩稜を下り、再び登って矢頭山(標高730.6m 四等三角点)山頂に着く。山頂には火の神様としてあがめられる「秋葉大権現」の祀られた小さな祠がある。
 下山は往路を引き返し、矢頭山東峰からは杣谷右俣・左俣の中間尾根を下る。杣谷出合からは中村川の美しい紅葉を愛でながら下出まで歩く。

写真は 上 矢頭山山頂 中 不動滝大滝 下 冷谷遡行概念図
 

孫と一緒に

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月29日(水)07時13分24秒
返信・引用
  今日は脱線です。
26日に小さい子供たちを連れて交野市のほしの園地へ行ってきました。
駐車場が満杯で私市の臨時駐車場に停めさせられたのにはびっくり。
ちょうど紅葉シーズンで人がどっと来たのでしょう。
でも3歳の孫も頑張って歩いてくれました。
ほしのブランコの大吊橋は小さい子には怖いみたいですね。
写真は
1.ほしのブランコ
2.ソーセージを焼く子供達。かわいいなあ手が金網に触れないようにするのが大変でした。
3.岩登りに挑戦する孫です。
 

(無題)

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月26日(日)19時46分22秒
返信・引用
  24日に中庄谷さんのご焼香をしてきました。中庄谷さんは前にも書いたけど大阪わらじの会を作った人である。大阪わらじの会という沢登り専門の会の活動によって、沢登りが一つのジャンルとして確立されたと思う。それまでの日本における沢登りの位置づけというのは、岩登りのための訓練の場といったいたって低いものであった。
私が大阪わらじの会に入ったのは1973年5月、24歳の時だった。私の少し前に後にゴルジュの蔵といわれることになる中下さんが入っていた。1976年7月に吉岡章さんが入会している。私は中庄谷さんとは入会後数年はご一緒したが、その後は川崎実と行くことが多かった。中庄谷さんが一番多く行ってたのは吉岡さんと中下さんだった。また、78年には代表を川崎実に譲って、会の運営から退いた。そして他会メンバーと行くことが多くなり同人を作ったが、それが後の渓遊会になった。
これがわらじの会の中で疑問視する声になり、ついには1987年に退会することになった。当時、私が3代目代表をやっていたが、池田駅前の飲み屋で中庄谷さんにわらじをやめてほしいとお願いした。中庄谷さんも会内の雰囲気は察していて気さくに同意してくれたが、私は不本意で情けなかった。なんでこんなことになったかと私なりに考えてみると、二つある。一つは60年代に大峰であった事故とその捜索でいろいろな会が統制とれずにばらばらであったことに懲りて、わらじのほかの会に入らないといういわゆる「二足の草鞋の禁止」を会則に入れたこと。
二つ目は70年代までに入ったメンバーには創設期以来の家族的な雰囲気があったが、80年代に入会してきた人たちは、確立された会としてのわらじの会を基本としているため、会則に対する考え方が極めて厳しかった。中庄谷さんがわらじの会の行事に最後に参加してくれたのは、1986年6月に南紀で行った仙人集会であった。私自身も二足のわらじを履かないために1998年に海外溯行同人を作る時に大阪わらじの会を退会した。中下さん、吉岡さんもすでに退会して中庄谷さんの渓遊会に合流していた。その後お会いしたのは2003年のわらじの会40周年の集まりであった。2008年の海外溯行同人10周年の総会&全国沢屋集会には来てくれた。しかし2014年2月に全国仙人集会を行った時にはすでに体調が悪く来ていただけなかった。
中庄谷さんを一番多く語れるのは渓遊会の方々であろう。しかし沢登りの歴史として中庄谷さんを語れるのは古いわらじの会のメンバーである。その人たちも今では少ない。せめて私たちで中庄谷さんのことを語り継いで行きたい。
写真は中庄谷さんのご位牌に焼香に訪れた面々である。渓遊会4名、大阪わらじ1名、海外溯行同人1名。この機会を作ってくれた河野さん、ありがとうございました。
 

Re: 海外溯行同人の納山祭

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月24日(金)10時51分14秒
返信・引用
  > No.2824[元記事へ]

Kamachanさんへのお返事です。

>  焼き鳥と刺し身、今週末には食ってやるー

手術前の自己血貯蓄で1リットルも血を抜かれたので、レバーを一生懸命食べてます。
 

Re: 海外溯行同人の納山祭

 投稿者:Kamachan  投稿日:2017年11月22日(水)22時41分1秒
返信・引用
  > 12月一杯は私は入院なので、すべてそれの後ですな。
> よいお年をお迎えください。
無事に退院できますように。

よいお年を!って、もう?あ、入院前に?

私は急に帰国することになり、早くても来年三月末迄は関西です。

またいずれ!

P.S.
 焼き鳥と刺し身、今週末には食ってやるー
 

海外溯行同人の納山祭

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月22日(水)21時30分34秒
返信・引用
  11月20日に早いですが納山祭を開きました。ケンジリ君も学校を卒業して研修医として働きだしたので、晴れて同人メンバーになったのでその歓迎会も兼ねて。
同人はこれからどうなるのだろう。
解散だー。
解散しても全国沢屋集会はやれー。
会報はどうすんねん。
などなど怖い言葉が飛び交いましたな。
そろそろ若い人達にバトンタッチかな。
来年は風雲急を告げそうだ。
12月一杯は私は入院なので、すべてそれの後ですな。
よいお年をお迎えください。
 

Re: 蛟龍瀑布

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月13日(月)22時54分46秒
返信・引用
  > No.2819[元記事へ]

蛟龍瀑布のキャニオニングですか。
おもしろそうだなあ。
怖そうというべきかな。
大地震直後の2001年にこの滝を見に行きました。
国家公園の管理員がOKしてくれなくてあきらめて仙人洞や地震湖を見に行きました。
その時作った概念図を添付します。
 

萬大渓十粒渓

 投稿者:オーブ  投稿日:2017年11月13日(月)13時50分40秒
返信・引用
  お世話になります、同人のオーブです

蛟龍の後に、濁水渓の萬大渓十粒渓(スーリーシー)に5日間で行って来ました

好天続きの減水により、未溯行部分も溯行することができました

台湾らしい大渓谷ではありませんが、中流部からは息つく隙も無くゴルジュが続き楽しめました

撮影は共に保坂
 

蛟龍瀑布

 投稿者:オーブ  投稿日:2017年11月13日(月)13時41分18秒
返信・引用
  お世話になります、同人の大部です

保坂と台湾最大の大滝の蛟龍瀑布にトライしてきました

この大滝は3段600mにも及ぶ大滝で下段が2014年に大西・ジャスミン両氏に右壁を登られています

私たちは左壁にトライしましたが、15ピッチで行き詰まり敗退しました

敗退後に上流部に回り込みキャニオニングにもトライしました。今年の7月に初下降したパーティーがいたため支点もバッチリで楽しめました

1枚目 取り付きから
2枚目 第一バンドから
撮影は共に保坂
 

晩秋の大台

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月13日(月)07時45分3秒
返信・引用
  沢登りのつもりで川上村まで行きましたが、調子が今一だったので、大台ヶ原まで上がってみました。
11日晩は川上村在住の登山ガイド竹中雅幸さんの家に泊めてもらいました。
http://mahonavi.narakko.jp/nature/ids/005934.html
竹中さんは昨年秋のヒマラヤ・ナンガマリ山初登頂仲間です。
ガイドなどやらなければ、メーカーの業務課長が務まる人材だなあ。
ヒマラヤの時は彼が物資の移動の采配をしてくれました。
好漢です。
大台ヶ原は霧氷がきれいでした。
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン8おまけ

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)16時01分42秒
返信・引用
  > No.2816[元記事へ]

おまけ

ソウルの逍遥山(ソヨサン)
1.参道の美しい紅葉
2.山門
3.稜線で北を向くトーチカ遺跡
 

Re: 韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン7

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時57分5秒
返信・引用
  > No.2815[元記事へ]

写真
1.寒渓嶺1
2.寒渓嶺2
3.五色温泉
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン7

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時54分34秒
返信・引用
  > No.2814[元記事へ]

写真
1.寒渓嶺への分岐 まっすぐ行けば雪岳山最高峰の大青峰である。我々は下山
2.下降路 長くつらかった
3.今にも落ちそうな岩
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン6

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時48分51秒
返信・引用
  > No.2813[元記事へ]

写真
1.第3滑滝帯1
2.第3滑滝帯2
3.第3滑滝帯3 傾斜が緩くなりいよいよ終了点も間近
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン5

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時42分54秒
返信・引用
  > No.2812[元記事へ]

写真
コクベグンのクライマックス
1.第2滑滝帯1
2.第2滑滝帯2
3.第2滑滝帯3
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン4

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時39分28秒
返信・引用
  > No.2811[元記事へ]

写真
1.白雲瀑布1
2.白雲瀑布2
3.白雲瀑布の巻きルート
 

Re: 韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン3

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時36分21秒
返信・引用
  > No.2810[元記事へ]

写真
1.白雲滝手前の滑1
2.白雲滝手前の滑2
3.白雲滝手前の滑3 つるつるの一枚岩で怖かった滑。白雲瀑布が見えてきた
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン3

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時32分41秒
返信・引用
  > No.2809[元記事へ]

写真
1.第1滑滝帯1
2.第1滑滝帯2
3.第1滑滝帯3
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン2

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時28分17秒
返信・引用
  > No.2808[元記事へ]

写真
1.荒れた白雲渓谷出合
2.第1滑滝帯入口
3.弱ったカモシカ
 

韓国、雪岳山・白雲渓谷コクベグン1

 投稿者:茂木  投稿日:2017年11月 6日(月)15時17分2秒
返信・引用
  韓国で多くの谷を見たが、この谷は韓国随一の美形であろう。成瀬陽一が1989年に日本人としては初めて「発見」した。私は1999年に雪岳山に行った時に成瀬からぜひと勧められてこの谷に入った。これが日本人としては「第二登」だったかもしれない。あまりの素晴らしさに感動した。滑の素晴らしさのみならず谷を囲む岩峰群の雰囲気が実によいのだ。それに魅せられて2001年にまた再訪したのだった。長い月日が流れて、今年6月の海外溯行同人の総会&全国沢屋交流会で九州のCさんから行こうというお誘いを受けた。それも今年中にと。一瞬迷ったが意を決し再々訪することにしたのだ。東京のSさんを始め、名古屋、大阪、九州の9人で行った。
2017年10月31日、ソウル泊。11月1日は内雪岳(ネソラク)の登山口のヨンデリから百潭寺(ペッタンサ)経由で百潭渓谷(ペッタンケーゴク)沿いに水簾洞(スリョムドン)まで行った。
2日、朝6時に山荘を出発した。3日は雨の天気予報だったので、2日のうちにできれば一気に登り切って寒渓嶺(ハンギョリョン)から五色温泉(オセクオンチョン)へ下ることにしたのだ。
水簾洞から白雲渓谷(ペウンケーゴク)入口までは1時間ほどだった。出合はゴーロの押し出しで、昔の森の中の感じはなく谷の変化に驚いた。ゴーロの谷を行くとカモシカが足を引きずりよろけながら逃げて行った。しかし、斜面に登ることができず横倒しに倒れて身体を起こすことができずにあがいていた。メンバーの一人が見かねて身体を起こしてあげたが、この身体ではもはや生きていくことはできないだろう。しかし自然にゆだねるしかないのだ。
斜滝を右岸から巻くと、第1の滑滝帯になるはずだった。昔はそこから幅100mの広大な滑だったが、今は悲しいかなゴーロで、上部1/3が昔の面影を残していた。ここで右から合流するコクベグンへ入る。数個の斜滝を越えて白雲瀑布(ペウンポッポ)に着いた。左から巻くが、岩がむき出しになっていて昔よりずっと悪い。右岸の岩壁にフィックスロープが垂れていた。
白雲滝上はこの谷の真骨頂、第2滑滝帯だ。ここは傾斜もあり、実に良い連瀑帯だ。振り返れば、左岸は200mほどの壁、その先には龍牙長城稜(ヨンアジャンソンヌン)、恐竜(クニョン)尾根の岩峰群が聳えている。この景色が見えないとこの谷の魅力は半減だ。昔の2回は快晴でベスト、今回は曇りだったが景色が見えただけ幸運であろう。
ゴーロ帯を抜けるとその先に第3滑滝帯がある。これは規模がさほど大きくなく次第に緩くなって河原になる。この先の溯行価値はなく、沢登りはここまでである。時計を見ると時刻は12時。これなら今日中に五色温泉も可能である。右岸の支流にある踏み跡とテープを頼りに縦走路へ上がる。すぐに分岐があり寒渓嶺への道を下山する。上り下りのある苦痛の道に耐え、15時半に寒渓嶺に着いた。幸運なことに16時にバスがあり、それに乗って五色温泉へ下り、温泉に浸かって登山の疲れを癒した。今日一日けっこうハードな一日だった。
3日、未明より雨になり、ホテルのオンドルのきいた部屋でぬくぬくと雨音を聞く。もし山で泊まっていたらつらい朝だったろう。無理して頑張った甲斐があったというものだ。昼前の市外バスでソウルに戻った。
4日、ソウルの北、地下鉄1号線の終点の逍遥山(ソヨサン)へ行った。紅葉が美しい山で、多くのハイカーで賑わっていた。自在庵からすさまじい階段道で一気に稜線に出た。縦走して行くと尾根に朝鮮戦争の遺跡であろうトーチカが銃眼を北に向けていた。時間切れで最高峰の義相台587mの手前で下山した。門前町の豆腐屋で豆腐とパジョンをあてにしてビールを一杯。夜はホテルの近くでテジカルビを食べて打ち上げとした。
写真は
1.百潭寺
2.河原の無数の石塔
3.水簾洞への百潭渓谷の道
 

武田尾の西ノ谷

 投稿者:茂木  投稿日:2017年10月29日(日)11時29分22秒
返信・引用
  26日はJACの重廣恒夫さんの登山教室のお手伝いで沢登り教室に講師として参加。
武田尾の西ノ谷で実施。
ロープワークを重点的に行い、霞滝、桜滝を登りました。
それから少々風邪気味である。
31日から韓国へ行くのにちょっと気がかりです。
写真は
1.霞滝
2.桜滝
 

台高山脈・父ケ谷

 投稿者:茂木  投稿日:2017年10月17日(火)10時06分39秒
返信・引用
  久々の谷泊まりの沢だった。天気が悪く、かなりぐうたら溯行だったが。
赤い新大杉橋を渡ってすぐ父ケ谷林道へ入る。林道は大荒れに荒れていて走りにくい。疲労困憊して標高450mの作業小屋に車を止めた。沢準備して尾根を下り、懸垂10mで宮川貯水池の水際へ降り立った。広い河原を歩き、ゴーロ帯の手前の台地にタープを張った。雨なのでタープの脇で焚火した。ああ、やはり焚火はいい。至極の時を過ごした。
買ってきたキスの丸干しを木串に刺して焚火で炙る。これはむちゃくちゃ美味しかった。
朝起きると雨。今日は鎌滝までやと割り切り、9時出発。
鎌滝まではけっこうきついゴーロ帯だった。鎌滝はちょっと傾いた滝で激しく水流を落として、長さは30mくらいか。左岸は200mくらいの嵓。開けて開放的なのがいい。
右岸の窪に取りつき1時間で林道に上がり、車に戻った。
短かったが十分に満足できる沢登りだった。
こんな沢をもっとやりたいと思う。来月は白川又川へ行く予定である。
写真は
1.焚火(キスの丸干しを焼いてます)
2.ゴーロ帯の溯行
3.鎌滝
 

京都西 小倉山ミニミニハイキング

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年10月16日(月)19時33分8秒
返信・引用
  2017.10.13 阪急嵐山駅~小倉山~嵯峨野散策~阪急嵐山駅

 天気予報では雨。嵐山の駅を傘を差しながら出発する。渡月橋を左岸に渡り、川沿い道を上流にたどる。稜線南側の山腹道を登って小倉山(標高296m 三角点無)の山頂に着く。下山は往路を引き返し、公園手前から北へ下る。おおぜいの外国人観光客が群れを成して歩いていて、心斎橋と見まがうばかりだ。群れに紛れて常寂光寺や二尊院・落柿舎などを回り阪急嵐山駅に戻る。

写真は 上 小倉山山頂 中 小倉山登山道 下 小倉山コース図
 

秋だなあ

 投稿者:茂木  投稿日:2017年10月12日(木)19時56分0秒
返信・引用
  四国の三嶺に登りました。
山頂付近は早くも紅葉の気配が・・・。
美味なキノコも採れました。
 

阿波の高越山

 投稿者:茂木  投稿日:2017年10月10日(火)07時42分7秒
返信・引用
  10/7、阿波の高越山(こうつさん)1133mに登りました。四国の徳島道を走っていると嫌が応でも見えるので、ずっと気になっていました。
三嶺に行くついでに寄ったというところです。
頂上には役行者が開山し、空海が就業したという由緒ある高越寺があります。
実は、つつじ公園から回っていく駐車場から往復1時間で登れます。
お寺は霧に包まれ霊場感に満ちていました。2014年冬に雪で住職さんが雪で遭難して亡くなられるという悲劇もあったそうです。
台湾の神木にも相当しそうな立派な杉樹がありました。
 

Re: 中庄谷氏逝く

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年10月 3日(火)15時10分17秒
返信・引用 編集済
  > No.2800[元記事へ]

茂木さんへのお返事です。

> 中庄谷さんに教わったのはまさに沢のイロハです。焚火の飯炊き、焚火のやり方。沢の登り方はともに登って勘所を教えてもらったと思います。
次第に会から足が遠ざかり87年に退会。

 私が「大阪わらじの会」に入ったときは、まだ会員としておられたんですね。でも残念ながら中庄谷さんの溯行に同行させていただいた記憶がありません。その頃はすでに「渓遊会」に軸足を移しておられたのでしょうね。
 私は「関西周辺の谷」を読み、いたく感動して著者である中庄谷さんに「入会したい」と手紙を書きました。その手紙は川崎さんに回送され、川崎さんから丁寧な自筆の入会案内をいただいて、入会することになったのでした。私は「沢やさん」としては初心者レベルを超えるまで成長できませんでした。また、十数年在籍した「会」の中で、先人からたくさんのことを教えていただきながらも、後から入ってきた方々に、教わったことの何一つとして引き継ぐことができませんでした。ただ私が「会」在籍中から「有名な秀渓の隣の無名谷」にせっせと通うようになったのは、中庄谷さんに始まり茂木さんたち先人の教えに深く影響されたもののように思えます。
 「いわゆる庄谷さんは じじくさい あとの連中は・・・」 私の人生の折節で耳にしてきた「わらじ哀歌」の一節です。氏の溯行は決して言葉の意味で「じじくさい」ものではなく、記録で接する限りとても躍動的・先進的で興味に溢れ、若さに満ちたものでした。「じじくさい」は尊敬と親しみに裏打ちされた言葉にほかなりません。氏の成し遂げてこられたことは、沢を人生そのもののように歩き、歩き続ける人々によって語り継がれていくことでしょう。
 中庄谷さんの偉大な業績をたたえますとともに、心からご冥福を祈ります。

 

家内と歩く熊野街道6

 投稿者:茂木  投稿日:2017年10月 1日(日)07時55分40秒
返信・引用
  3か月ぶりに街道歩きを一歩先に進めました。前の2回は暑くて大変でしたが、今回もまだ暑かった。今年はおかしな年です。夏が涼しくて、その前後が暑い。
今回は北信太駅から歩いた。駅前の案内板で新しい発見があった。池上曽根遺跡という弥生時代の古墳が近くにあるのだ。横道に逸れるがこれを見ないわけにはいかない。
というわけで、信太山葛葉稲荷、篠田王子、伯太神社、竹内王子でいったん街道から離れた。
信太山駅前で昼飯を食べた。エビフライ、鶏唐揚げのスペシャルランチでした。
踏切を渡り、案内に従って古い家の多い路地を西へ行くと、国道26号の向こうに弥生文化博物館というのがあったので、そこに入る。遺跡からの発掘品などが多数展示されていて価値のあるものだった。その後遺跡に行って大きな復元家屋を見学。閑散とした広場でどこかのテレビ局だろうか、10人くらいのグループが撮影していた。なかなかの遺跡である。うまくすれば吉野ケ里古墳くらいの人気の遺跡だとおもうが、大阪人は商売がへたなのかな。
このあたりでたいがい暑さに負けた。力を振り絞り、家内をなだめつつ泉井上神社に行って朱印状をいただき和泉府中駅から電車に乗った。
なかなか先へ進めないなあ。99王子といわれる王子のうちようやく10王子すんだ。先は長い。
写真は池上曽根遺跡
 

Re: 中庄谷氏逝く

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月24日(日)16時24分23秒
返信・引用
  > No.2799[元記事へ]

幻の大滝さんへのお返事です。

中庄谷さんに教わったのはまさに沢のイロハです。焚火の飯炊き、焚火のやり方。沢の登り方はともに登って勘所を教えてもらったと思います。
沢の文化の最も本質的な所だったでしょうか。
76年に代表を川崎さんに譲ってから、会の性格が変化してしまい、ちょっと川崎イムズについていけなくなったのかなあという印象がありました。次第に会から足が遠ざかり87年に退会。
ほとんど会う機会もなくなってしまいました。
2003年だったでしょうか、わらじの40周年会で久々にお会いしました。
その後、海外溯行同人の2008年総会に来ていただき、渓遊会の20周年でお会いしたのが最後でした。
わんこさんが渓遊会20周年会の写真をフェースボックに載せてくれたので、それをここでも紹介したいと思います。あの時もだいぶ物忘れがひどくて、古いわらじメンバーがお久しぶりとあいさつしても、思い出せなかったりしてました。
私なんか70にしてかなり物忘れがひどいです。
一番しんどいのは計画書の作成かなあ。書こうとしたことを忘れて堂々巡りする。
これってなさけなく、かつ寂しいですね。
 

中庄谷氏逝く

 投稿者:幻の大滝  投稿日:2017年 9月23日(土)12時20分52秒
返信・引用
   僕も22日の昨夜ハガキを受けて知り、23日の今朝、お悔やみの手紙とご香料を送りました。そして茂木さんに知らせようと「掲示板」を開くと、すでに「想い出」が投稿されていた。
 彼との想い出は尽きません。漠然とした気持ちのまま彼に同行している内に、僕も自分の渓谷遡行登山を行えるようになり、休日は渓中で明け暮れる日々でした。
 今は、この様な「掲示・記録」を見ながら楽しく過去の想い出に浸っています。渓谷遡行の記録を出してくれる「皆んな皆んな」に有難うを述べます。これからも楽しませて下さい。幻の大滝コト池上昌司。
 

中庄谷さんの想い出

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月22日(金)21時44分9秒
返信・引用
  家に帰ると一通の訃報が届いていた。中庄谷直さんが9月11日に85歳で亡くなったのだ。驚きと悲しさと懐かしさがいっぺんに心に飛び込んできた。
中庄谷さんが大阪わらじの会を設立したのは1963年である。当時私は高校の山岳部であったが、大阪わらじの会が次々に山岳雑誌に発表する沢の開拓にあこがれた。大阪に住むことがあればぜひ大阪わらじの会に入りたいと念じたものだ。そしてなぜか就職で大阪に暮らすことになり、念願の大阪わらじの会に1973年春、25歳で入ることができた。
私のわらじでの初溯行は恵那山の沢で中庄谷さん、池上さんとであった。そこでわらじ流沢登り術の洗礼を受けたのだった。コンロを使わず、焚火で全てやるのはカルチャーショックであった。楽しかった。たちまちその世界に引き込まれて行ったのだった。
大阪わらじの会は日本で初めての沢登り専門の山岳会である。それまで沢登りは岩登りの訓練の「手段」くらいにしか見られていなかった。しかし大阪わらじでは沢が「目的」であった。未知、未踏、未記録の谷への思いを燃やし、深いゴルジュ、大滝、厳冬期の谷とその範囲を広げ、今の沢登りの基礎を作っていった。その中で、中庄谷さんは未知、未踏、未記録の谷に拘っていたように思う。結構新しいことが好きで、ゴルジュが注目されればゴルジュへ、冬の谷が注目されれば「連れて行け」と言われた。しかしそれらは肌に合わなかったようである。大阪わらじの会を去り渓遊会を作った。
その後中庄谷さんに会ったのは2008年の海外溯行同人の総会&全国沢屋集会の時だった。海外溯行研究NO.1「台湾の谷」をお贈りしたが、茂木は大阪わらじのスピリッツを継承していると言ってくれたのが嬉しかった。
しかし、それがお会いした最後になった。2011年9月に川崎実さんの追悼山行を打診した時は都合が悪くてという丁寧なご返事をいただいた。2014年2月に第二十回仙人集会のお誘いをした時はすでに体調が勝れず参加いただけなかった。
中庄谷さんが谷への思いを込めて大阪わらじの会を作って54年。沢登りは日本から台湾など海外へ拡がり、またヨーロッパ生まれのキャニオニングと合体して新たな谷の文化になろうとしていますよと、天の中庄谷さんに声をおかけしたい。
写真
1.1975年2月中央アルプス前衛の糸瀬山・境沢を登って
2.1986年6月12回仙人集会(大阪わらじの会主管・湯の峰温泉)
3.2008年6月海外溯行同人の総会&全国沢屋集会
 

Re: プロモ山追加

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月16日(土)12時58分37秒
返信・引用
  > No.2796[元記事へ]

おまけ写真
1.下から見上げたプロモ山
2.噴火口
3.ホテルに飾ってたパネル写真、これが一番いいなあ。
 

プロモ山

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月16日(土)12時52分59秒
返信・引用
  プロモ山はスメル山の北にある巨大カルデラ平原テンガル・カルデラにある噴火口である。
明け方にプナンジャカン展望台(2700m)でご来光を見てから、プロモ山の麓へ行く。
展望台は大変な人込みで完全な観光地だ。
プロモ山も観光地で、山登りの世界ではない。阿蘇山観光と同じである。
砂漠のような平原を馬に揺られてゆらゆらと噴火口へ。数百段の階段を登ると火口の外縁であった。
火口の底から白い煙が絶えずもうもうと噴き上げてきて迫力がある。
観光客は仕切りの上に上に座ったりして記念写真を撮ってにこにこしている。
怖くないのかなあ。わたしはようやらん。
1.プナンジャカン展望台の朝
2.プロモ山の火口
3.砂漠をお馬さんにゆられて
 

スメル山頂上と噴煙2題

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月16日(土)09時19分0秒
返信・引用
  頂上は広い砂礫の平原です。
その端に噴火口があります。
黒煙を吹き出す時は、ズシンという地響きを伴って、やはり迫力がありますなあ。
やった、やったーーーという感じでしょうか。
遠くプロモ山の方から見る噴火は可愛いですね。
 

スメル山の氷

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月 9日(土)22時18分13秒
返信・引用
  > No.2793[元記事へ]

スメル山で信じられない体験をしました。
登山第一夜、標高2400mのラヌクンボロという池の畔に泊まったのですが、そこで氷が張ったのです。
その晩はめちゃくちゃ寒かった。
今回念のためにスリーシーズンの寝袋を持って行きました。それに入って寝ようとしたのですが寒くてたまらない。薄いけどダウンを羽織り、着替え用に持って行った衣類を身体に巻き付けてやっと寝れました。
朝起きるとテントに霜が降りている。それはあまり驚かなかったのですが、手洗い用に水を張った洗面器を見てびっくり。厚さ2センチほどの氷が張っていたのです。
赤道直下の標高2千強の場所で氷が張るなんて信じられますか?

写真
1.ラヌクンボロ
2.氷った洗面器
3.近くに咲いてる名を知らない花
 

ジャワ島スメル山

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 9月 8日(金)09時26分13秒
返信・引用
  ジャワ島の最高峰スメル山3676m、プロモ山2329m、イジェン山2799mに行ってきました。
いずれも活火山で、スメル山は10分に1回くらい水蒸気爆発を繰り返し、プロモ山は常時噴気を発生させ、イジェン山は硫黄の噴出ガスが燃えて神秘的な青い炎が出ることと、pH0.5という強酸性水の火口湖で有名。
写真は
1.スメル山
2.プロモ山(遠くの高い山はスメル山)
3.イジェン山の噴気とカルデラ湖
 

京都北 十三石山ミニミニハイキング

 投稿者:warajinメール  投稿日:2017年 9月 5日(火)22時28分36秒
返信・引用 編集済
  2017.09.05 叡電市原駅~盗人谷道~小峠~満樹峠~十三石山~小峠~叡電市原駅

 少し涼しくなってきたので小さな山歩きを再開する。前回雷様が怖くて途中で引き返した京都北の十三石山(標高495.3m三等三角点)に登る。京都バスの出町柳~雲ヶ畑岩屋橋方面行路線が廃止されたので、起点は南の釈迦谷口か東の叡電市原駅しかないようだ。
 叡電市原駅から鞍馬川左岸の車道を進む。鴨川に懸かる十三石橋を渡り府道61号線を右にとるとすぐに登山口がある。盗人谷中俣に添う道を登り小峠に出る。盗人谷右俣にも破線が付けられているが、伐採後の倒木と草藪がひどく歩きにくい。寺山の急坂を登ると十三石山の山頂まであまり起伏のない広葉樹の散歩道が続く。長くお休みをしていたせいか市原駅から山頂まで2時間半もかかってしまう。
 下山は往路を引き返し、1時間半で叡電市原駅に着く。

写真は 上 十三石山山頂 中 広葉樹の稜線道 下 十三石山登山コース図
 

足尾に行く

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月29日(火)21時20分22秒
返信・引用
  前に足尾へ行ったのは何年前だろう。
若いころ日光の中禅寺湖から山越えして松木沢へ下りたことがある。あのころ西部劇のような赤茶けた崩壊壁の景色にショックを受けた。
久々に寄ってみたら全山緑が回復していて、ほっとした気持ちになった。
今年はできなかったが、来年は松木沢から皇海山に登ってみたい。
そうそう、百名山の沢をやってるM君に声をかけてみよう。うまく合えば一緒に登れるな。
足尾鉱山の坑道見学した。兵どもが夢の跡か・・・
写真
1.足尾の精錬所跡
2.松木沢ゲート
3.坑道見学
 

日光金谷ホテル

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月27日(日)19時33分21秒
返信・引用
  日光で3泊した。
8月16日、湯元泊。17日、安良沢泊。
2日間を安くあげて、
18日は大奮発して日光金谷ホテル~?
少年時代、日光で暮らした私にとって金谷ホテルはあこがれであった。
あの頃に金谷ホテルに泊まるのは外人ばかりであったろう。
外人観光客からチューインガムや飴、チョコレートをいただいた最後の世代であろう。
だいたい白人の女は爪が赤いと信じていたのだ。
社宅街でダンス教室がはやったことがあって、
金谷ホテルでクリスマスのダンス会があった時に親に付いて行って1回だけ金谷ホテルに行った。
親たちがダンスをしている間、私は探検で赤いじゅうたんの廊下を走り回っていた。
そんな思いでがあるのだ。
日光金谷ホテルの調度はだいぶくたびれていたが、赤い絨毯は昔のまま。
いいねええ。
ここに泊まると遊歩道で大谷川(だいやがわ)の河原に下れて、神橋が見上げられることを今回初めて知った。
ついで大黒天山に登りホテルに戻ると、家内に蛭が数匹ついていて、絶叫~~~^^;
冷や汗~~~
トイレに流したがあの蛭さんはどうしてるだろう。
あんがい栄養たっぷりの排水管の中で成長してるのではないか。
 

霧の湯ノ湖

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月21日(月)09時17分3秒
返信・引用
  朝起きて湯ノ湖岸を散歩した。
霧の湯ノ湖は幻想的だった。
 

つのハシバミ

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月19日(土)02時14分13秒
返信・引用
  谷川岳のマチガ沢出合付近にツノハシバミが群生していた。
これは美味であるが、実を覆っているひげが問題。
硬くて細いので素手で触ると皮膚に刺さる。しかも細くて抜けない。3日くらいかけて自然に押し出されるのを待つしかない。食べようとした少年時代の痛い思い出だ。
 

谷川岳の遭難レリーフ

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月18日(金)07時17分36秒
返信・引用
  家内と旅行して谷川岳の一ノ倉に立ち寄りました。
昔の無数の遭難レリーフの列は撤去されましたが、一部が残されてお参りできるようになっていました。
ここで多くの若者が死んだ。家族の悲しみがこの墓銘碑に残されている。
それを思うとつらい。
遭難は死した者にも、生き残った者にも地獄だ。
そんな思いがこみ上げてきて、しばらく歯を食いしばった。
 

四国の山

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月 8日(火)22時00分40秒
返信・引用
  6月、7月と続けて四国の剣山、石鎚山に登った。
四国の山というのは意外と気持ちがよくて好きだ。
剣山頂上ヒュッテに泊まるとご来光が拝める。
石鎚山は1回目は土小屋から、2回目は成就から。
成就からは延々と階段であった。
 

サカモギ谷

 投稿者:茂木  投稿日:2017年 8月 6日(日)08時52分50秒
返信・引用
  7月29日、大阪は滝畑のサカモギ谷へ行ってきました。この谷を私は「大阪最悪の谷」と呼んでいる。脆い岩の100mの連瀑がある。これだけの連瀑は大阪には他にない。若いころ5回ほど通ったろうか。そのうち2回は冬である。寒波が10日続けば連瀑は氷結する。アイゼンを蹴りこめる冬の方が楽に思える。
今回は久々にリンゴさんと一緒させていただいた。吹けば飛ぶような身体で華麗な登りは70過ぎのじいさんにはとても見えない。いつまでもその登りを見せてください!
そのリンゴさんが「もう二度と来たくない。」と仰った谷であります。
滝畑の駐車場に車を置いて千石谷林道で出合へ。F1は狭い壁の中に完璧なCS滝。右岸に垂れ下がるボロボロの捨て縄頼りに這い上がった。続いてボロボロの滝が続々。ホールドに掴むとボロ、スタンスに立つとボロ、なんか昔よりも格段に脆くなってるなあ。最後の連瀑には手を出す気になれず一気に巻く。この谷の一番嫌なのは詰の大ガレである。これを避けて右岸の藪を登り、トラバースして南葛城山登山道を千石谷へ下った。川に着くと水に漬かって身体を冷やして生き返った。
29日は台湾の友人が関空で来る予定だった。台風9号が台湾通過である。どうせ来れないだろうと思っていたら、定刻通り飛んだとメールあり。(なんと連瀑帯の上で、そこだけだったが携帯が通じたのだ)サカモギから関空は近い。その足で出迎えに向かった。
1.典型的なCS滝のF1
2.連瀑帯
3.千石谷に戻って川に漬かって冷を摂る。

 

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